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プライベートレッスン~大人の恋愛講座~
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Author: 倉谷みこと

第1話 知らない熱の余韻

last update publish date: 2026-02-11 16:10:49

意識が浮遊する感覚と少しの眩しさに、僕はゆっくりとまぶたを開けた。

(ここ……どこだ?)

知らない布団の感触に、ふと疑問に思う。

視界に写るのは、窓から差し込む日光に照らされた、見覚えのある天井と壁。なのに、周囲にある調度品は、知らない物ばかりだった。

「痛っ……!」

頭が痛み、思考を邪魔してくる。昨夜は、行きつけのバーで飲んでいた。もしかしなくても、飲み過ぎたのだろう。久しぶりの二日酔いに、僕のテンションは急降下だ。

とりあえずベッドから出ようとして、僕は違和感に気づいた。普段はあるはずの、布の感触がない。

「……は?」

布団の中を確認して、思わず、声が出てしまった。

あり得ないことに、僕はパジャマはおろか、下着すら着ていなかった。熱帯夜でさえ、Tシャツに短パンは着ているというのに。しかも、自宅ではないだろう場所で、だ。

(いやいやいや……さすがに、あり得ないって! これは……そう、夢だ! 夢!)

なんて現実逃避をしながら、僕はもう一度、布団の中を確認する。

「マジか……」

視界に写るのは、素肌のままの下半身。少し手前に視線を移せば、上半身も見えてくる。けれど、やはり何も着ていない。この事実は、間違いようもなかった。

なぜ、どうして……。そればかりが、頭の中を駆け巡る。

「とりあえず、落ち着け!」

深呼吸をして、室内を見回す。男物のジャケットが数着、壁にかけられている。けれど、自分の物ではない。普段、僕はジャケットをクローゼットにしまっているからだ。

頭痛に耐えながら、視線を床の方へと滑らせていく。艶のあるフローリングには、埃一つ落ちていなかった。きれい好きな人が家主なのだろうと思い、見覚えのある木目には気づかない振りをした。フローリングなんて、どれも同じような木目のはずだと、考えるのを放棄する。

ベッド脇を見ると、一人分の服が脱ぎ散らかされていた。間違いなく、僕の服だった。

そそくさと服を着る。少しだけほっとしたところで、尻の内側にある違和感に気がついた。何かを擦りつけたような、そんなしびれ。

(何だろう? これ……)

どうにも気になる。でも、痛みがあるわけではない。

落ち着かないけれど、一旦、意識の外に追いやって、部屋を出ることにした。

扉を出た瞬間、隣の部屋から物音が聞こえてきた。おそらく、リビングかキッチンだろう。僕の他に、誰かがいるのは確実だ。

緊張と未知の恐怖に強張る体を解すように、僕は小さく深呼吸をする。覚悟が決まったところで、隣室に繋がる扉を開ける。

「あ! おはよう」

僕よりも背の高い男が、振り向いて笑顔を見せる。目鼻立ちのはっきりしている、いわゆるイケメンだった。二枚目の若手俳優にでもいそうな雰囲気がある。おそらく、この家の主だろう。右側にあるカウンター型のキッチンから、二人分のカップをテーブルに持ってくるところだった。

「おはよう、ございます……」

僕は、反射的にそう返していた。

栗色の髪の見覚えのない男。それも、自分より若いだろう彼を前に、僕は必死で記憶を掘り起こそうとする。最近、入社したばかりの後輩か、それとも取引先の誰かか。いずれにしても、僕の記憶の中にはいない人物だった。

「何で、そこで突っ立ってるのさ? こっちにおいでよ」

笑いながら、男が声をかけてきた。

彼は、部屋のほぼ中央にあるテーブルの向かい側に座っている。何気ない日常風景のはずなのに、ドラマのワンシーンのように思えてしまった。彼の雰囲気が、そう思わせるのかもしれない。

混乱する中、僕はその場から動けなかった。彼が誰なのか。ここがどこなのか。そもそも、なぜ僕がここにいるのか。疑問だらけで、上手く思考がまとまらない。おまけに、頭痛はまだ居座っている。

「朝飯作ったから、一緒に食べようぜ」

と、彼がにこやかに誘ってくる。

テーブルの上に視線を向けると、二人分の朝食が準備されていた。出来立てなのか、白い湯気が立っている。

どうしようかと逡巡する間もなく、僕の腹が大音量で鳴った。

「あ……」

気づいた瞬間、恥ずかしくて顔が熱くなる。

(マジか……。この状況でも腹減るとか、どんだけだよ)

僕は、内心、自分にツッコミを入れた。穴があったら、すぐにでも入りたいくらいだ。

「あっはは、体は正直ってか! 悩むのは、腹ごしらえしてからでもいいんでない?」

豪快に笑ったかと思うと、彼は優しくたずねてくる。

この状況で断るのも何だか気が引けて、僕はご相伴にあずかることにした。彼の対面に座ると、ほかほかのご飯と形のきれいな卵焼きとしじみのみそ汁が、僕を待ち構えていた。

「……いただきます」

緊張しながらつぶやいて、僕は食事に手をつける。

朝食は、どれも優しい味わいで、二日酔いの僕にはとてもありがたいものだった。

「めっちゃ、美味そうに食べるじゃん」

と、対面にいる彼が、優しい微笑みを浮かべている。

「……っ! 何だか、がっついてるみたいでみっともないですよね。すみません」

急に恥ずかしくなった僕は、進む箸を止めて頭を下げた。

「いや、別にいいって。ただ、佳晴《よしはる》さんが、元気になったみたいでよかったなって思ってさ」

彼はそう言って、卵焼きを一切れ口に入れた。

(……ん? 名前、呼ばれた?)

彼の今の発言に、僕は少し引っかかった。

「あの……どうして僕の名前、知ってるんですか?」

箸を置いて、僕は目の前の男に問いかけた。

少し、警戒しているような声音になってしまったかもしれない。でも、それもしかたがないだろう。面識のない人物なのだし、名前を教えた記憶もないのだから。

「あれ? もしかして、覚えてない? 昨日の夜、あんたが教えてくれたんだぜ? 相馬《そうま》佳晴さん」

「え? 僕が教えた……?」

予想していなかった事に、僕は愕然とする。

「ちなみに、俺は相沢《あいざわ》竜希《たつき》でーす」

よろしくと、彼は自己紹介した。

(確かに、聞いたことがあるような……?)

そう思って、昨日の事を思い返してみる。

昨日は、仕事から帰ってきて、自宅近くにある『篝火《かがりび》』というバーを訪れた。帰宅後、篝火に行って一杯引っかける、それがここ最近の僕の楽しみだった。

店内は、落ち着いた雰囲気で、ついつい長居してしまう。確か、昨日も一杯だけのつもりが、結構な数のグラスを空けていたような気がする。

「――っ!」

記憶を漁っていると、急に鋭い痛みがこめかみ辺りに走った。僕は小さく呻いて、反射的に左手を頭にやる。

「大丈夫かよ!?」

と、目の前の彼が心配そうに声を上げた。

「だ……大丈夫、です。二日酔いなだけで……」

無用な心配をさせないために、僕はわざと明るく振る舞った。つもりだった。でも、結果としては、彼――相沢さんの表情は、ほとんど変わらなかった。

失敗したかとも思ったけれど、どうしようもできない。今は、痛みに耐える方が先決だった。

目を閉じて深呼吸を繰り返す。しばらくすると、痛みは消えていった。

「本当に大丈夫?」

相沢さんの気遣う声で、僕はゆっくりと目を開ける。

「ええ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」

申し訳程度に謝罪して、僕は残っている料理を平らげる。

ごちそうさまでしたと告げると、相沢さんは真顔で、

「ねえ、本当に何も覚えてないの?」

「すみません。篝火で飲んでいたのは、かろうじて覚えてるんですけど、それ以上の事は……」

言葉を濁して、僕は目を伏せた。

昨日の夜、いったい何があったのか、知りたい気持ちはある。でも、実際に聞くのは怖かった。自分が、何か酷い事をやらかしてしまっていたらと思うと、気が気ではない。

「そっか、なるほどね……」

そうつぶやく相沢さんの声は、意外にも明るかった。何かを思案しているようにも聞こえる。

「じゃあ、俺の部屋で、あんな事やこんな事をした記憶もないわけだ?」

挑発するような、揶揄《からか》うような彼の声音に、僕は反射的に視線を向ける。

「……あんな事やこんな事?」

どこか不穏な響きに、無意識に警戒してしまう。

「ああ。俺的には、めっちゃ濃密な一夜だったんだけど?」

と、相沢さんは、わずかに目を細めて僕を見つめてくる。

ねっとりとした視線に、一瞬、呼吸ができなくなった。初めて向けられた視線のはずなのに、僕はそ·れ·を·知·っ·て·い·る·。彼に見つめられているだけなのに、腹の奥底が疼き出した。それに引っ張られるように、体が火照り、息が荒くなる。

(な、んで? こんな感覚、知らない……。何だよ、これ!?)

訳がわからなくて、僕は混乱する。

「へえ? これだけで、そんな反応するんだ? ふふっ、かーわいい」

興味深いと、彼がつぶやいた。

その低めの声とちらりと見えた舌先に、僕の下半身がひくりと反応した。

「貴方……僕に、いったい何をしたんですか!?」

荒い息を繰り返しながら、僕は相沢さんを睨みつける。

けれど、思っていた効果はなかったらしい。

「特には何も? 強いて言うなら、昨夜は熱い夜だったってことだけかな」

と、相沢さんは、涼しげな笑顔で言った。

その爽やかさの中に、妖艶な色が混ざっているのを、僕は感じ取っていた。一瞬、脳裏に本性をさらけ出した彼の姿が写る。

「あ……や……いや、だ……!」

僕は、うわ言のようにつぶやいて、熱を帯びる体を引きずって立ち上がる。

その間、相沢さんは何も言わず、観察するように僕を眺めている。

(何だよ、これ……?)

彼の視線と声に、知らないはずの記憶に、僕の体は昂ぶっていく。自分が自分ではないような気がして、怖い。

「もしかして……俺の事、煽ってる?」

小首をかしげて、問いかけてくる相沢さん。口角を上げ、舐めるように僕を見る。

穏やかな物言いなのに、どことなく危険な香りがする。

「そ、んなこと……っ!」

ないと断言はできなかった。のどが詰まり、言葉が出ない。

(このままじゃ……本気でやばい!)

そう思った僕は、視線の呪縛を断ち切るように目を閉じた。一瞬だけれど、燻った熱が落ち着きを取り戻したような気がする。

「すみません! ごちそうさまでした!」

目を開けた僕は、相沢さんから視線をはずして早口でそう言った。

「え? あ……」

彼が、何かを言いかけていたけれど、構っている余裕はない。部屋の入り口付近に立てかけられていた荷物を持って、僕は足早にその場を後にした。

あのままずっと、あの場所にいたら、確実に彼のペースに流されていただろう。それほど妖しい雰囲気が、室内を満たしていた。

玄関を開けると、手すりがついた廊下に出る。見覚えのある色の手すりだったけれど、気にしている余裕は僕にはなかった。早くこの場所から逃げたい、それだけだった。

廊下を進み、階段を駆け降りる。段差を降りる度に、服が敏感な肌をさわさわとなでていく。その感触に反応して、僕自身が反り立っていくのを自覚した。

「くそっ……!」

収まらない劣情に嫌気が差し、悪態をついた。

地面に降り立ち、正面を向いたところで愕然とした。目の前には、見慣れた駐車場と僕の車がある。

「う、そ……だろ?」

振り向くと、自宅があるアパートだった。

目が覚めた時から今まで、見ない振りをしていた見覚えのあるもの達が、現実を容赦なく突きつけてくる。

自宅が目と鼻の先にあるというのに、こんな失態を犯してしまった。その事実に、僕は打ちのめされていた。一階にある自宅に向かう足取りが、とても重い。

自室に着くと、疲労感が一気に押し寄せてきた。着替える気力もないまま、ベッドに倒れ込む。

僕の手は、無意識に下半身に伸び、直に自分自身に触る。それをきっかけに、昨夜の記憶が断片的に蘇る。

篝火の店内。空のカクテルグラス。ウェイター姿の相沢さん。薄暗い彼の部屋。彼の息遣い。

『……イっちゃえ』

ふいに、相沢さんの低く甘い声が、脳内にこだました。

「……っ! くっ……!」

無意識に記憶していた声にうながされ、僕は呆気なく果ててしまった。

息を整えつつ、後始末をする。

「どうして……」

つぶやいたけれど、それは誰に向けたものだったのか。続く言葉が言えないまま、僕は静寂が包む室内で肩を落とす。

どうして、彼の誘いを受けてしまったのか。流されるまま身を委ねて、記憶を飛ばして、触れられていないのに欲情して――。

深いため息とともに、後悔の念が押し寄せる。けれど、緩急をつけて僕自身を追い詰める彼の指の動きが脳裏に浮かぶ。手でされただけで達してしまったのは、もしかしたら、初めてかもしれない。

「……っ! また……!」

思い出しただけで、僕自身が緩く勃ち上がる。こんな事、今まで一度だってなかったのに。

(くそっ! な、んでっ……こんなに反応してんだよ!)

心の中で悪態をつきながら、熱を逃がすように自身に触れた。

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